身近な歴史ー3
現在 神戸市北区に住んでいます、神戸市の面積の約44%が北区です、
神戸といえば港と連想されると思いますが、北区は山の中で、歴史はたくさん埋もれています。
その中の一つ荒木又右衛門と丹生山田の里です。
日本3代仇討の一つ、伊賀上野鍵屋の辻の仇討(1634年)で有名な荒木又右衛門(1599〜1637)は、仇討ちに出る前に、妻と娘を摂津国丹生山田の縁者のもとに疎開させたと言われています。昔の丹生山田町と一口に言っても、五ヶ村からなる広大な村でした、山田町原野から淡河(おうご)町野瀬へ抜ける志久道の入り口に、主水屋敷があったということを知りました。
土地の年配の人に会って尋ねると、その方が子供のころには、主水屋敷跡として残っていたが、近年新興住宅造成の時に貯水池が作られ、今は跡形もなくなってしまいました。
主水屋敷に植えられていた黒竹は その時その方の家に植えられて、今立派に育っています。
主水屋敷は荒木又右衛門の妻みねの叔父さんの家で、刀鍛冶をし、南300mぐらいのところに(現在は田になっている)とい屋(砥屋)があり、そこへ刀を持って行ったそうです。
国道428号 志染川を渡った所に酒屋があります。以前 そこの屋敷に荒木又右衛門が泊まったと、伝承されています。子孫は現在どうなっているかわかりません。
丹生山田の里には多くの遺跡・史跡があります。私はこんな長閑で歴史のあるところが大好きでよく歩きます。
20年ほど前この村の山田小学校の校庭から鍛冶の遺跡が発見されました、平安期のころのものだそうです。
丹生山があり帝釈鉱山跡があるこの辺りは、鍛冶は盛んだったのでしょうか。
伊賀上野鍵屋の辻は、伊勢街道と奈良街道の分岐点にあたり、現在は「鍵屋の辻史跡公園」となっています。園内には荒木又右衛門の遺品や錦絵などを展示した伊賀越資料館や数馬茶屋などがあります。